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なぜ、今でも音楽を続けているか

ある授業で問いかけられて、考え込んでしまった。

 

 

なぜ、今でも音楽を続けているか

 

 

直感で答えろと言われ、まず思いついたのは「そこに音楽があるから」というものだった。しかし、音楽以外にも存在しているものはたくさんある。数多の選択肢の中から、時間を費やすことを選んでいるのが、音楽なのである。

 

この問いは、単純だが含んでいる意味には深いものがある。

 

「今でも」という言葉には、過去から続けてきているニュアンスがあるし、ともすればここまでは続けないことが当たり前なのだというニュアンスが感じ取れる。

 

「音楽を」という言葉に、音楽の種類を特定する意味はない。ギターであろうがなかろうが、それは関係ないのだ。自分が音楽と定義したものを、ここで言う音楽だと捉えれば良いだろう。演奏でなくとも良いだろう。例えば音楽を聴いて評論するのも、作曲するのも、主体的に音楽を「している」と捉えて良いのではないか。

 

「続けている」。続いているのではない。続けているのだ。つまり、ここには主体的に、意思を持って継続しているというニュアンスが含まれている。

 

私はこのように考えた。

 

 

ギターを続けている理由であれば、弾けるようになるのが面白いからという理由もあるだろう。実際、私の場合にはそれが大きいように思う。しかし、ピアノやリコーダー、歌、作曲など、ギター以外の表現方法にも大きな興味があり、それを考えると、「できるようになる喜び」以外の何かが、そこにはあるのではないかと思った。

 

ギターを弾いているとき、本当にギターを弾いているのだろうか。

 

我々は世界に働きかけ、そうすると、何か反応が返ってくる。返ってこなかったは、それは無であり、世界ではない。

 

誰かに話しかける。返事が返ってくる。相手が自分の声に反応している。

誰かに話しかける。返事が返ってこない。世界から反応はなかったのか。違う。なぜ、返事が返ってこなかったのか。無視されたのか。声が聞こえていなかったのか。返事が返ってこなかったことで、自分の心が動く。

 

授業の場は、演奏活動をする者を対象としていた。さて、我々は音を奏でているのか。

 

ギターという楽器は弦を震わせて音をだすのだけれども、その実、震わせているのは心なのではないかという気もしている。

 

音楽は、空気を振動させて、その振動が誰かの鼓膜に入れば音として伝わり、肌に伝わればそのまま振動として伝わる。いずれにしてもその後、伝わった人の心に何らかの動きを与えるだろう。

 

 

もし、音楽が人の心に何の作用ももたらさないとしたら、私は音楽に興味を持ち続けただろうか。おそらく、それは、ない。

 

 

だから、私はこう結論づけた。

 

私が音楽を続けている理由は、

 

人には心があるから

 

だと。

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