このブログを読んでくださっている方に問いたいのは、「あなたは誰ですか?」ということです。
顔の見える実世界のスピーチなどと違って、ご覧くださっている方がどんな方なのか分からないので、どんな記事があなたの役に立つのか私には一切分かりません。
という中、読んでくださって本当にありがとうございます。
今回の記事は、ついつい自主休講してしまう大学生(つまり、過去の私のような)の方向けの記事になります。
現在の私は、授業はすべての回に出席すべきだと考えています。
なぜか?
それは、講師の方がデザインした授業内容を最大限に享受したいと思うからです。
大学の半期の講義は15回。10回出席するのと、11回出席するのは、正直そんなに大きな差はないかもしれません。
ところが、14回出席するのと15回出席するのは雲泥の差がある(場合もある)と思います。
授業から得られる得点が(評価ではないですよ!)、14回で100点だとしたら15回なら200点とか、大げさに言えばそのくらいの違いがありうると思います。
こういう考え方に至った理由は、ある資格試験対策の本でした。
その本には、模擬試験が3回分ついていました。
模擬試験、本番の試験を完璧に予想できるなら、1回で十分ですよね。でも、3回分ついている。これはどういうことなのか。
「完璧に予想はできないけれども、3回分全てやって、それぞれ満点がとれるように復習すれば、だいたい合格点に届くだろう」
本を作った方は、おそらくこのように設計しているはずです。私が作者なら、そうします。
翻って、冒頭の授業の話。
これもまた、全体として教えたいことがあり、それを15回なら15回の授業すべてを使って完結するようにデザインされているはずです。15ピースのジグソーパズルがあったとして、どの1ピースが欠けてもパズルは中途半端になってしまいます。
同じように、どの1授業が欠けても、得られる知識は中途半端になってしまう可能性があると思います。
それから、授業というのは往々にして、雑談の中にクリティカルヒット的な、自分にとってとんでもない価値のある言葉が含まれていたリします。
それは、15回の中で1回でもあればラッキーというようなもので、そういう言葉を逃さないためにも、授業にはすべて出席すべきではないかと思います。
まとめると、なぜ、授業はすべてに出席すべきなのかという理由は、
- 授業はすべての回が揃ってはじめて一つの作品として完成するため
- 自分にとって価値のある言葉がどの授業に含まれているか分からないので、それを逃さないため
という2点です。
いかがでしょう。これを読んだあなたは、もう授業を休むことはできないはず・・・(そんなこと、あるわけない)