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音楽美学のすすめ ショパンを例に

これから書くことはどなた向けか。

おそらく、音大生向けですが、音楽が好きな方なら言わんとしていることはなんとかく分かるかもしれません。

 

 

 

 

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ショパンという作曲家を知っているだろうか。

その音楽の調は絶えず変化し、あちこちをうろうろとする。しかし、その変化に不自然さを感じたことが、果たしてあっただろうか。およそ出版されているショパンの曲に関して、私は感じたことがない。

その曲はあまりに難しい。しかし、その音楽は素通りするにはあまりに美しいので、私のように、ピアニストになることなどとうに諦めたような者ですら、ピアノに向かわせることになる。

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音楽美学の授業で、毎回こんなようなことを書いていました。

 

 

大学院に通っているときに履修した、音楽美学の授業というのがありました。これは院の授業ではなく、自由科目として取った学部の授業です。

 

 

 

この授業が、2年間を通して履修した座学の中で、一、二を争うくらい面白かったんですね。

洗足学園音楽大学のシラバスはホームページで公開されていますから、興味のある方はご覧になってみても良いと思うのですが、この授業では、

 

 

毎回先生が選りすぐった、ある作曲家を題材とした視覚教材を視聴して

 

 

その作曲家についての批評を書く

 

 

ということが毎回行われました。授業は毎回一人の作曲家が取り上げられます。ベートーヴェン、マーラー、ショパン、チャイコフスキー・・・etc.

教材はだいたい30分以上はあって、ある程度見たところでレポートの批評文を書き始めることになります。これは、授業内で提出する必要がありました。

 

 

 

 

この授業にはいろいろなメリットがあると思うのですが、なんといっても、これだけ深く考えながら、様々な作曲家の音楽を聴く機会があるだろうか?ということなのです。

とにかく、授業という限られた時間内でレポートを書き上げなければらないのですから、真剣に聴きます。そして、聴く教材は決して短くない。

 

 

 

オーケストラのコンサートに行くのが好きな方だったりしたら、まとまった長さの演奏を聴くことは、機会としてはあるでしょう。しかし、その演奏には当たりはずれがあるでしょう。また、どれだけ真剣に聴くことができるでしょうか。そもそも、演奏会の場で「批評文を書くのが前提のような聴き方」をするのが適切かどうかも疑問です(私はしばしばそういう聞き方をしてしまいますが・・・)。

 

授業で与えられる映像(必ず演奏を含んでいます)は、音大で教えるほどの人が、大学図書館にある資料の中で最高のものを選んだものです。質という意味で、自分が適当に選んだコンサート、適当にYouTubeで検索した動画などよりはるかに非常に信頼感の高いものだと言えると思います。最高の演奏者による、最高の演奏が選ばれていると考えて良いでしょう。さらに、曲も、作曲家の特質が掴みやすいものが選ばれていると考えられます。

 

 

 

考えてみてください。音楽を聴くことは別に、授業ではなくてもいつでもできます。

 

しかし、こんなに集中して聴きますか?途中でスマホに目をやってしまったり、演奏を止めてしまったりしませんか?と。

そして、教材を自分で選ぶことができますか?と。

 

 

音大に通って勉強をしているような身で、自力で先生と同等な、あるいはそれ以上に勉強に適切な教材が選択できるなどと考えるのは、あまりにも思い上がりなのではないでしょうか。

 

 

 

ちょっと話が本題から逸れたのですが、それだけ良い環境で音楽鑑賞ができたのだということです。これによって私は、何人かの作曲家に対して、これまでに思ったことのなかった印象を抱くことになりました。

具体的に誰がどうというのは、記事を読まれている方が作曲家に対して持つイメージに影響を与えると困るので書きませんが、例えば、

 

 

ある作曲家に対しては、音の密度が濃いなと思いました。

ここで言う音の密度とは、和音の密度とも言い換えられます。トレモロのような、横の密度ではなく、同時に鳴る音の縦の密度です。まるで、隙間のない水の中にいるようだと。

 

 

また、ある作曲家に対しては、旅をしているようだなと思いました。曲を聴いていると、何か情景が浮かんでくるのです。それは、空想世界ではなくて、何か現実的な風景のような、そんな印象を受けました。

だから、その作曲家の曲を聴いたあとは、まるでどこか遠くに旅行に行ったあとのような、そんな心持がしました。

 

 

 

こんな感じです。中学校、高校くらいの音楽の授業の鑑賞でも、もしかしたら同じようなことをやっていたのかもしれませんが、大人になってからやるのはまた違ったもので、新しい発見があります。

 

 

 

もう一つだけ音楽美学の授業のメリットを挙げると、毎回の課題のテーマが与えられるということです。

 

 

こんなことはありませんか?

 

 

美術の授業で、「何を描いても良い」と言われて、何を描けば良いかいっこうに考えつかない。

あるいは作曲の課題で、これまたどんな形式で書いても良いと言われて、どの形式にするか決められない。

 

 

同様のことが、音楽の批評という行為に対しても起こります。仮に、自分で勉強に適切な教材を選ぶことができたと仮定しましょう。では、その教材に対して、どういう視点で批評を書けばよいのでしょうか。

この、課題の設定というのが、たぶん、何かを作るうえでは一番大切なところだと思います。課題が適切に与えられたからこそ、授業の時間が価値のあるものになった。そういうことだと思います。

 

 

 

これは、授業を受けているときには気がつかなかったのです。それで、授業で割とうまくレポートが書けていたので、同じ要領で別の作曲家についても書いていったらブログのネタにもなるなと思っていたんですね(覚えてないですけど、当ブログの「作曲家」カテゴリーはそれを意図して作ったものだったかもしれません)。

ところが、ことはそう簡単ではありませんでした。そもそも作曲家を選ぶことができませんし、曲、演奏を選ぶのも難しいですし、文章を書くときの切り口をどうすれば良いかも分からないわけです。

 

 

あらゆる面で、すごく貴重な体験をさせていただいたなと振り返っています。

 

 

 

 

ということで、音楽美学の授業はおすすめです。

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